矢口高雄ヒストリー

1939年昭和14年) 秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)に生まれる。 よく学び、よく遊ぶ、忙しい。少年時代を送る。
1958年(昭和33年) 県立増田高等学校と同時に羽後銀行(現・北都銀行)に入行、12年間勤める。
1970年(昭和45年) 銀行を退職しまんが家へ転身、「鮎」で週刊少年サンデー小学館よりデビュー。
1973年(昭和48年) 週刊少年マガジン(講談社)に「釣りキチ三平」の連載開始日本中に釣りブームを巻き起こした。 同年「幻の怪蛇バチヘビ」を発表。
1974年(昭和49年) 「釣りキチ三平」「幻の怪蛇バチヘビ」により 第5回講談社出版文化賞(児童まんが部門)を受賞。
1976年(昭和51年)
「マタギ」双葉社で日本漫画家協会賞(グランプリ)を受賞。
1995年(平成07年) まんが家生活25周年を記念して故郷・増田町に“まんが美術館を”オープン。
1996年(平成08年) 「東アジアMANGAサミット96」にて評議員のほか、シンポジウム 「マンガと教育・地域振興」の座長を務める。
1998年(平成10年) 宮城県中田町が開設した「石の森塾」の初代塾長、故・石の森章太郎の遺志を引継ぎ塾長に就任。
2000年(平成12年) まんが家生活30年を記念し、故郷の「増田町まんが美術館」で大規模な原画展「MEMORIAL SELECTION-矢口高雄30年の軌跡」 が 開催された。この年増田町で4人目の名誉町民となった。
2001年(平成13年) 日本初のパーソナルマガジン、平成版「釣りキチ三平」週刊少年マガジン 特別編集(講談社)スタート
2003年(平成15年) 05月 昭和の「釣りキチ三平」が 少年マガジン名作コレクションとして 蘇える
2004年(平成16年) 「釣りキチ三平 CLASSIC」に「三平 in カムチャツカ 2004」を連載
2005年(平成17年) 「増田まんが美術館」10周年とマンが家生活35年を記念して「手塚治虫・矢口高雄 二人展」開催、写真付き切手1000部限定で発売
2006年(平成18年) 04月より「コンビニ版 釣りキチ三平」刊行
2007年(平成19年) 02月05日に中国・広州市で行われた中国の漫画賞「金龍賞」で「海外漫画傑出貢献賞」を受賞
2008年(平成20年)

07月「釣りキチ三平」実写版クランクイン
10月04日、秋田県横手市から「功労賞」受賞
10月31日、秋田県から「秋田県文化功労者賞」受賞

2009年(平成21年) 03月20日 実写版「釣りキチ三平」 ロードショー
10月07日 ブルーレイ&DVD発売
11月06日「地域文化功労者」として文部科学大臣より表彰を受ける。
2010年(平成22年) 画業40周年。『三毛猫がくれた幸福 ボクを癒してくれた「役立たず」のナッコ』出版。
2011年(平成23年)

東日本大震災チャリティーオークションに参加。
復興支援「釣りキチ三平チャリティ鮎釣り大会」を静岡・狩野川で開催。

2013年(平成25年) 横手市増田まんが美術館にて「釣りキチ三平生誕40周年展」
2014年(平成26年) 『矢口高雄の世界 天翔ける童心』出版。
2016年(平成28年) 秋田空港(秋田市)の出発ロビーに大型陶板レリーフが設置。
2019年(令和元年) Twitterを開始。横手市増田まんが美術館リニューアルオープン。
2020年(令和2年) 画業50周年。11月20日、すい臓がんにて死去、享年81。