実はこちらのHPにはそれほど数は多くないのですが『釣りキチ三平』ファンの皆さんから『釣りキチ三平』や矢口高雄に関する思い出を語るメッセージを頂いたりします。そこには矢口プロのスタッフでも知らなかった矢口の一面やエピソードがあることも多く、もちろん矢口プロ内では共有はしているのですが、そこで終わりなのはもったいなーと思い皆さんにも是非知っていただけたらと新コーナーにしました。タイトルはもちろん手塚治虫先生の『ブッキラによろしく!』からの佐藤秀峰先生の『ブラックジャックによろしく』の流れのパクりです。
内容的には『釣りキチ三平』に出会ったことによって、心に三平クンが住み着いてしまった人の紹介的な感じです。それでは第二回目は「谷地坊主」です。
今回は小学校時代から『釣りキチ三平』ファンのNさんからメッセージを頂きました。Nさんは「𩹷の原野」のエピソードが三平クンの父である平さんの行方を追うキーとなることから大好きなストーリーだったそうです。そのNさん、生まれも育ちも埼玉県だったそうですが、2001年に札幌へと転勤となりました。「これは自分の目で釧路湿原を見に行かなければ!」。早々に釧路旅行をしたのは言うまでもありません。そんなこんなで札幌暮らしをしていると何と矢口高雄が札幌を訪れるとの知らせが!2003年のことです。会場はサッポロファクトリー、Nさんはもちろん出かけました。そしてその会場でサイン色紙の抽選会がありました。『釣りキチ三平』の各キャラクター7枚の中から欲しいものを1枚選ぶのですが、大好きな魚紳さんにしたい気持ちとの葛藤の末、北海道ゆかりのキャラクター谷地坊主に応募しました。するとなんと諦めかけてた一か月後、谷地坊主のサイン色紙が送られてきたのです。今でも家宝として玄関に飾っているそうです。
この一連の件は当時のホームページ上にあった掲示板にも掲載され、当時、管理していた長女由美も反応していました。
その後の谷地坊主は平成版カムチャツカ編で再登場し、高田屋嘉平の子孫という設定で三平君と大活躍するのですがNさんにとっては、玄関に飾ってある色紙を横目に身内が活躍するような気分で谷地坊主を応援していたそうです。
私は平成版『釣りキチ三平』が大好きで、特にカムチャッカ編に関しては、当時、私が本業でカムチャッカに出張に行くことになり、矢口から直接カムチャッカのことを聞いたり、取材時のビデオを見せてもらったりしたのでそういった意味でも感慨深いんですよね。
閑話休題。そういえば昔のHPには掲示板が付きものでしたね。運営者とファンはもちろん、ファン同士でのコミュニケーションの場として賑わっていました。ただ、そのファンの声が直接届くというのは時として考え物で、長女由美が体調を崩し、矢口も看病に付きっきりになっていた時にも、事情を知らないファンの方から、なぜ更新されないのか? 矢口の声を聞かせて欲しい!との書き込みがたびたびあり、マネージャーR子や次女かおるが心を痛めていたのを見ていてかなり複雑な心境でした。
そんなわけで今回の「三平クンによろしく」は終了です。これからもみなさまのメッセージをお待ちしております!